◆デトマソパンテーラとはどんな車なのか

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僕が死ぬまでに欲しい車は5台あります。
・スティングレイ
・ミウラ
・チャレンジャー
・フォードGT
・デトマソパンテーラ
コブラも欲しくなりましたOrz
毎年夢を1つ以上叶え続けている僕ですが、今年はその叶える夢を死ぬまでに欲しい車の1台目を達成しよう思います。(どうにかしてw)
デトマソパンテーラという車です。
数年前からずっと欲しかったので、本当に欲しいのか、百聞は一見にしかずということで生のパンテーラを4台も見てきました。
ここの社長もパンテーラ乗りということでここ以外に買うお店はないと確信しました。
とんでもなくかっこいい!
実物は写真の2億倍かっこいいです。
美女と一緒で車もケツが締まってるのはかっこいいです。
これを買って、また一歩死んでも後悔しないようになりたいと思います。

パンテーラとはイタリア語で豹という意味。
・エンジンはフォード・マスタングから移植された5.7リッターV8エンジン
・デトマソマングスタと同じドイツZF社製5MTレーシングミッションをロードクリアランスのために上下を逆に搭載
・前後比は42:58
・サスペンションはダブルウィッシュボーン

言わずと知れたスーパーカー。
イタリア系アメリカ人、リー・アイアコッカの意向でフォードからオファーがあり1969年9月に契約。1970年1月にプロトタイプが完成し、3月にイタリア・モデナで発表し1970年10月販売。

シャシー設計はランボルギーニから引き抜かれたジャン・パオロ・ダラーラが担当。
エクステリア・デザインはカロッツェリア・ギア社アメリカ人のトム・チャーダが担当。
オハイオ州クリーブランドに生産工場があることから、通称「クリーブランド」と呼ばれる。

フロントグリルにあるエンブレムは、古代エジプトの多神教の神”イシス神”のヒエログリフ(象形文字)である。これはイタリアでは不快な話題となるので、アレッサンドロは「妻のイザベルのイニシャルだ」と言っている。

そして「ヌオーバ(新世代)」と名付けられたこのモデルは、デ・トマソ創立30周年を記念して、1990年のトリノ・ショーで発表された。
エクステリア・デザインは、ミウラやカウンタックを手掛けた鬼才マルチェロ・ガンディーニが担当。

1959年、かつてマセラティのレーシングドライバーとして活躍していた、アルゼンチン出身のアレハンドロ・デ・トマソがイタリアのモデナで設立。

レース活動を行いながら
1965年:フォード直4エンジンを搭載するバレルンガ
1966年:フォードV8エンジンを搭載するマングスタ
をリリース。

アメリカにおけるスーパーカービジネスを計画する
フォードと提携し、
1970年:パンテーラ
を発表。

イタリア製のボディにアメリカ製の大排気量エンジンを搭載する異色のスーパーカーとして注目を浴び、目標生産台数4000台には及ばなかったが、最盛期の1972年には2700台以上を記録した。

しかし、オイルショックの影響により販売台数が激減し1974年にフォードが撤退。
デ・トマソは、改良を続けながら独自でパンテーラの販売を続ける。
パンテーラの後継モデルである
1993年:グアラ
を発表するが、前年にアレッサンドロが病に倒れる。
そしてアレッサンドロはマセラティを手放すなど、会社は徐々に縮小。
2003年5月21日、アレッサンドロは、イタリアのモデナで心不全のため74歳で死去。
2004年5月デ・トマソ社はアレッサンドロの遺族によって解散された。
こうして、アレッサンドロと言う不可思議な色男の人生の終焉と共に、デ・トマソ社も終わりを迎えた。

■主な歴史
1599年:イタリアのモデナで設立。
1965年:初の市販車となるヴァレルンガをトリノショーで発表。
1966年:市販車2台目となるマングスタをトリノショーで発表。
1970年:市販車3台目となるパンテーラを発表。
1972年:パンテーラにラグジュアリー仕様のLを追加。
1973年:パンテーラに高性能版のGTSを追加。
1980年:パンテーラにGT5を追加。
1984年:パンテーラGT5をGT5Sにマイナーチェンジ。
1989年:パンテーラの最終モデル、ノーバを発表。
1993年:パンテーラの生産を終了し、グアラを発表。
2003年:アレッサンドロが死去。
2004年:遺族によってデ・トマソが清算された。

■ディーラー
シーサイドモーター
エリートスポーツ
ガレージ伊太利屋

■アレッサンドロの生涯について
アレッサンドロの祖父母はイタリア出身だが、デ・トマソのホームページに記載されたデ・トマソの歴史によると、アレッサンドロ自身は1928年7月10日にアルゼンチンのブエノス・アイレスにて生まれ。
彼は、アルゼンチンでレースドライバーとして活躍。

アレッサンドロの父親は、イタリア移民の息子だったが、後に社会党首相にまで選出され大統領候補までになった人物である。しかし、父親はアレッサンドロが20歳の時に死亡した(※暗殺とも言われる)。その後誕生したペロン軍事革命政権(※ペロンの妻はあの有名な”エビータ”ことエバ・ペロンである)に名誉と財産を奪われたアレッサンドロは、無一文となる。

アレッサンドロの人生最悪の頃、その後の彼の親友となる男と出会う。
その歯科医大生の名前は、なんとあの”チェ・ゲバラ”である。
そして1955年のある朝、アレッサンドロは突然DC3型旅客機をハイジャックした。
爆弾を積み込み、ペロンの大統領官邸への襲撃を試みた。しかし、彼の計画・行動は離陸する前に失敗し、アレッサンドロは国外退去に処せられてしまった。

その後に彼は、イタリアへ渡った。
イタリアでもレーシングドライバーとして活躍するが、ここでアメリカ人女性レーサー”エリザベス・ハスケル”に出会う。彼は、彼女と1957年に結婚式を挙げる。
イタリア亡命後、僅か2年後の事である。

実はこのエリザベス(後イタリア的にイザベルと改名)は、GM社の創立メンバーの孫娘だった。アレッサンドロは、大富豪の娘と結婚したのである。

1959年に、アレッサンドロはイザベルの出資で、イタリアのモデナに”デ・トマソ・アウトモビリ”と言う会社を設立した。
デ・トマソ社は、当初車の生産をしておらず、起業してから数年間は、自社製のフォーミュラマシンを製作をしていた。ただし自社製のものはフレームのみで、エンジンや駆動系は市販の物を搭載していた。1961年にはアルファロメオのエンジンを、1970年にはコスワースのエンジンを搭載して、F1に参戦した(※1970年参戦の際には、フランク・ウィリアムズがチーム運営をした)。彼のレーシングカーのコンストラクターズは、彼のF1への挑戦は1970年の事故で事実上終わった。まったく結果を残す事ができずにの、レースからの撤退である。

しかし、アレッサンドロは、その間に政治力と人脈を駆使して、自動車業界に着実に触手を伸ばしていた。デ・トマソは、1963年に三台の試作車を発表。その内の一台は、オープンカーの”ヴァレルンガ1500”だが、アルミ製ボディを載せたクーペボディ車として、1965年に市販された。

フェラーリやアルファロメオとどこか通じる美しいデザインのこの車は、世界初のミッドシップ・ロードカーの一台として名を馳せる。1967年には、2台目の市販車”マングスタ”を発売。V8エンジンをミッドシップに積み、ジウジアーロがボディをデザインした本格的なスポーツカーだが、残念ながら不発に終わった。しかし、この際にデ・トマソのボディを生産したトリノの名門”カロッツェリア・ギア社”の買収に成功している。

その後、(大富豪の娘イザベルの暗躍もあったと言われる)フォードとの提携関係が生まれる。
フォード二世は、ミッドシップ・スポーツカーのプロジェクトに反対だったが、あの”リー・アイアコッカ”はプロジェクトを強力に提言した。イザベルとアイアコッカは旧知の仲で、イザベルを通じてアレッサンドロはアイアコッカとの太いパイプを築いた。こうして、大量生産の経験すらない無名のデ・トマソ社とフォード社との間に、大量生産のミッドシップカーの開発・生産を一任する契約が結ばれた。

1969年に、デ・トマソ社は、ランボルギーニのチーフデザイナーのジャンパオロ・ダラーラを引き抜いた(※ダラーラについてはランボルギーニ・ミウラのページを参照)。ミウラの設計でその問題点を熟知していたダラーラは、全長の短いV8ユニットを得て純レーシングカー的な縦置きミッドシップ・レイアウトに挑んだ。こうしてフォードのスポーツカープロジェクトに参加して誕生したのが、”パンテーラ”である。試作車は、1970年1月に完成し、3月にモデナで、4月にはニューヨークで披露された。

Pantera Pantera L Pantera GTS Pantera GT5 Pantera GT5S Nuova Pantera
発表年 1970 1972 1973 1980 1985 1990
生産年 1970~ 1972~1985 1973~1990 1980~1985 1985~1990 1990~1994
生産台数
シャシー セミモノコック
全長×全幅×全高(mm) 4270×1830×1100 4270×1830×1100 4270×1830×1100 4270×1830×1100 4270×1830×1100 4365×1930×1100
ホールベース(mm) 2515 2515 2515 2515 2515 2512
トレッド前後(mm) 1450/1460 1450/1460 1560/1563
車両総重量(kg) 1330 1420 1420 1420 1480 1480
エンジン 水冷V型8気筒OHV
ボア×ストローク(mm) × 101.6×76.2
総排気量(cc) 5763 4942
燃料供給 キャブレター
圧縮比 10.5 8.6 11.0 11.0
最高出力(PS/rpm) 310/5400 266/5000 350/5000 330/5000 300/5400 305/5000
最大トルク(kgm/rpm) 52.5/3500 45.0/3500 45.0/3500 45.0/3000 52.5/3500 52.5/3500
エンジン搭載位置 ミッドシップ縦置き
駆動方式 後輪駆動
トランスミッション 5速MT
変速比 
1速
2速
3速
4速
5速
後退
最終減速比

最高速度(km/h) 265 280 270
ステアリング ラック&ピニオン
サスペンション 前後ダブルウィッシュボーン
ブレーキ 前後ディスク 前後ベンチレーテッド・ディスク
ホイール 7J×15(F)、8J×15(R) 7J×15(F)、8J×15(R) 7J×15(F)、8J×15(R) J×15(F)、J×15(R) J×15(F)、J×15(R) 8.5J×17(F)、12J×17(R)
タイヤ 185ER15(F)、215ER15(R) 215ER15 285/40(F)、345/35(R) 235/45ZR17(F)、335/35ZR17(R)
乗員定員(名) 2

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